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っていうか、実際に世界の終わりなんだけど。と。
何だかぼんやりと焦点が定まらない思考回路のまま、自分で自分にツッコミを入れてみた。
飛空挺のコックピットの窓越しに見上げた先には、どこかのキレた英雄が呼んでくださった巨大な小惑星が一つ、
この地上を目指して少しずつ、しかし着実に近づいてきている。
見ようによっては、この青い空に、そこだけぽっかりと真っ赤な穴があいたようにも見えなくもない。
あれに願い事したら、確実だろうな。あぁ、世界の平和なんて願うのも良いかもしれない。
呑気にそんなことを考え、直後にそんな自分に笑ってしまう。
今世界を脅かしている元凶に世界平和を願うなんて、それこそナンセンスの極みだ。
まったくもって、馬鹿馬鹿しい。
「やけに楽しそうだな、お前は」
1人でくくくと笑っていると、不意に背後から呆れたような声をかけられた。
「よ、ヴィンセント」
振り向くクラウドの視界に飛び込んできたのは、常に斜め後ろな思考回路を保持し続けているガンマン1人。
ご丁寧なことにこんなクソ暑い日にまで、トレードマークと化している紅いマントを着用している。
本人は何ともないのかもしれないが、他人の視覚にとっては一種の精神攻撃だ。
「暑いとか思わない?」
「いや。慣れている」
あ、さいですか。
あっさりとした返答に何故か気力をごっそり奪われてしまい、クラウドは目の前の手すりにずるずるともたれかかった。
慣れるって何ですか。どんな体内構造しているんですかアナタ。
聞けば更に脱力するような答えが返ってくるような気がして、クラウドは口をつぐんだ。
高校時代の懐かしのブツを発見しました隊長! クラウドの性格とか今といろいろ違ってるっぽくてなんか新鮮。こんなに能天気でそこなしに明るいお人じゃないはずだ。誰ですかこれは。
当時どっかからとってきた「世界の終焉がうんたらかんたら」的なお題に沿うはずだったお話らしいです、ネタメモ見た限りでは。唐突に始まり、唐突に終わります。続くようで続かない。というより、この性格のクラウドで話続ける自信がないですわたしが。最初はこんな風にクラウドのこと見てたのかなー。今と違うようで変わらない文章に自省の意味も込めつつ、こんなところにひっそりアップ。ヴィンセントさんの扱いのひどさは昔も今も変わらないらしいです(それもこれも愛ゆえだ!)。
更新は、とりあえずやっぱり水曜までは無理な感じがひしひしと。明日の試験は授業まじめに受けていれば大丈夫な内容なのでいいのですが、明後日が! スペイン語が! ひいぃっ!
もうね、再帰動詞とか代名詞とか点過去とか線過去とか未来形とか、ただでさえ頭ごちゃごちゃなのに、それの不規則活用と規則活用分けて覚えて文章書くなんて、日本語自体ままなっていないわたくしには無理な話だと思うのですよ、セニョリータ? 読みは楽で好きなんですけどねースペイン語。そして今後スペイン語で題名つけようかななんて考えていたりもするくらいには魅力があるんですけどね。「魔王」を暗唱させるドイツ語に比べればましだよねっ! と自分を慰めてみたり。ああでもきっと無理。勉強してもしなくても結果はそう変わらないかもしれませんが、勉強しなかったら確実に単位落とす自信があるっ!(勝ち誇るな!)
そんな裏事情はわきに置いておいて。ちょっと本語りをば。
最近、どんな本でも、読むべき時期ってあるもんだよなとすごく実感します。エンターテインメントというか、まあいわゆる普通にちょっと手にとって立ち読む短編集なんかだと、あんまりそういうことは感じないで読んじゃうほうなのですが、絵本や児童文学、古今東西の名著と呼ばれる本なんか読んでいると、じわじわ感じます。傑作ってやっぱり感受性豊かな時期に読めると「ああ自分って本当に幸運だった」って思えるのですが、同時に下手したら自分の書く文章全部一生その本の影響力に引きずられたままになってしまいそうなので、いろいろ怖いです。(でも今は感受性なんてないも同然だろうと指摘されるとそれまでだったり……)
この怖さ、初めて味わったのが「指輪物語」でした。あれ読んだの、高校生になって、人の真似ばかりではダメなんだ、とようやく気付き始めたあたりだったからよかったものの、もっと幼いころに読んでいたら、わたしの世界観はトールキンに縛られていたかもしれないなぁと今でもたびたび思っています。ファンタジーと聞かれてイメージするのが中つ国って、ある意味、すごく恵まれているとは思うのですが。想像力って時に暴力的なんだ、と悟りのようなことを思った覚えがあります。あの世界観はすごいんだけど、すごすぎて、下手につつくと戻ってこられなくなりそう。「小さい頃に読んでおけばよかった!」と後悔する本はよくあるのですが(せめて世界少年少女文学は読破しておくべきだった……くぅっ)、あれだけは、高校に上がってからでよかった。よくやった自分。
ああでも同じことは茅田さんのシリーズ読んでいても思ったかも。「デルフィニア~」と「スカーレット~」はすごい威力。別な意味で呑まれます。
逆に小さい頃に読むべきかな、と思うのは宮沢賢治やナルニアシリーズ。前者は日本語の美しさに目を開かされるし、後者は……単純に今読むのはちょっと辛いかも。ペペンシー兄妹がいい子すぎて、ちょっとひねてしまったわたしには悪役のほうが魅力的に映っちゃって……。賢治さんのほうは、大人になってから読んでも、それはそれで全然かまわないと思うのですが。でも賢治さんの本読むと、擬音語・擬態語の表現がきれいすぎて、自分で使うときすごく恥ずかしくなってしまう……。
webでもたまに恐ろしい人がいたりするので、要警戒。かつてはまったジャンルでもそういう方がいらっしゃって、未だにお気に入りリスト上位に存在しています。思えば、中学の頃の文章はかなりあの方の影響を受けていたな……影響力から抜け出せなくなりそうでその後しばらく通うのはやめていましたが。影響を受けるのと、影響力に囚われちゃうのは違うことじゃないかなと思ったので。
ああ……無駄に語ってしまった……。